普段のおっとりした雰囲気や華奢な見た目からは想像しがたいが、ひとたび試合となると表情が一変。全日本テコンドー選手権では7度の優勝経験を持つ超実力派。そんな山田選手の背景にはどんなストーリーがあるのか――。

1993年12月13日に愛知県で格闘技道場を営む両親のもとに生まれたみゆちゃん。いつもお兄ちゃんの後ろをついて回る引っ込み思案な女の子。同世代の友達より近所のおばあちゃんやおじいちゃんと話す方が好きだった。そんな少女が格闘技を始めたのは3歳の時だった。

類いまれな才能と 競技への強い思い

「兄の空手の試合を見に行くうちに自然とやりたいと思ったんです。小さかったので、家と道場の切り替えができず、父をいつもの癖で『おとう』と呼んで、よく怒られていました」
家と道場は目と鼻の先。駐車場を挟んですぐ隣にある道場に通うのが日課だった。ほかにもテニス、水泳、習字、ピアノ、学習塾などのたくさんの習い事をしていたが、やはり空手が一番彼女に合っていた。
「中学1年生の時、父の勧めでテコンドーをはじめました。最初のうちは空手と並行して週1回の練習だけでしたが、だんだんとテコンドーの方に比重が傾いていきました」
頭角を現すまでに時間はかからなかった。中学1年生の時に全日本ジュニアテコンドー選手権大会に出場し、3年生で初優勝を飾った。高校2年生になるとシニアの全日本テコンドー選手権大会でも優勝。国内では敵なしのトップ選手に急成長し、日本代表として海外の試合にも出場するようになる。順風満帆と思われた彼女だったが――。
「高校生の時はテコンドーを辞めたくて仕方がなくって。親にあれこれ言われるのが嫌でした。競技に影響するからといって恋愛も禁止されていました。当時はぶつかることも多かったけど、テコンドーが大好きだったから踏みとどまりました」

勝つことを諦めない 恩師の喝で目覚めた本気

高校卒業後はテコンドーの名門、大東文化大学に進学する。そこで恩師である金井洋監督から指導を受けることになる。
「国内の試合は勝てるけど、海外の試合になると全く歯が立ちませんでした。勝つのはいつも海外の強い選手。周りには五輪で金メダルをとることを目標にしていると言っていましたが、どこかで日本人選手は頑張っても勝てないんじゃないかっていう諦めがいつもありました」
そんな気持ちを見透かした監督は彼女を一喝する。
「監督に自主練習を休みたいと言ったら『お前は本気で五輪で金メダルを獲ることを目指しているか?口だけだろ』って。グサグサ突き刺さりました」
彼女の負けず嫌いな性格を知る監督だからこその厳しい言葉。その狙い通り、闘志に火のついた彼女の練習態度は一変する。
「監督を見返したいという気持ちが強かった。それまではためらっていた男子選手との組手も積極的にやりました。この頃から本気で五輪で金を獲ることを目指すようになりました」

絶対王者の挫折 苦しみを乗り越え得たもの

大学卒業後も働きながら競技を続ける決意を固め、城北信用金庫への入庫を控えた大学生最後の冬――。
「リオ五輪の代表選手を決める絶対に負けられない大会でした。足技を入れようとして、バランスを崩して転倒。その時に足の靭帯を切ってしまいました。痛みを我慢してなんとか立ち上がって試合を続けたけれど、当然足に力が入らず、その後は試合になりませんでした」
優勝を期待された中でのまさかの2回戦敗退。込み上げる悔しさに、涙が止まらなかった。
「手術を伴う大怪我をしたのはこの時が初めて。社会人になってからは、午前に仕事をして、午後はリハビリとトレーニングの見学。仲間の頑張る姿を見ているだけで何もできない自分が本当に悔しかった」
トップを走り続けた彼女が感じた、初めての焦りだった。地道なリハビリを続け、怪我を克服。復帰するまでには約1年もの月日が過ぎていた。
「復帰戦の前日は以前とは違って、緊張で全然眠れませんでした。周りから弱くなったと思われるのは嫌だったから、負けは許されませんでした」
結果はブランクを全く感じさせず快勝。華麗で力強い足技を決めた。周りからはむしろ怪我をする前よりもパワーアップしたと賞賛されるほどだった。
「リオ五輪の選考会で怪我をする以上の悪いことなんてそうそうないと思ったら、気持ちが楽になった。メンタルが強くなったし、前よりもさらに負けず嫌いになりました」
怪我を経験し肉体的、精神的にも成長した彼女はリハビリ期間をこう振り返る。
「日本代表として海外の試合に出させてもらえることの有難みを改めて感じました。私が出ることによって出られない選手もいる。今いる環境は当たり前じゃないことに怪我をしたから気づけました」

国際大会での初メダル 見えてきた今後の展望

快進撃は続く。2018年1月に行われた全日本選手権大会では7度目の優勝を果たし、8月に行われたアジア競技大会では3位入賞。自身初となる国際大会でのメダルを勝ち取った。
「今まで海外の試合はせいぜい5位止まり。今回は初戦から決勝戦のつもりで全力を出しました。メダルが確定した時は嬉しかったけど、同時に金を狙いに行ったんです。だから準決勝で負けた時は悔しかった」
今回は惜しくも優勝を逃したが、確実に世界の頂点に近づいている。今後の目標を尋ねると力強い答えが返ってきた。
「2020年の東京五輪で金メダルを獲ること。国内では一番でい続けることが大前提だけど、出場だけでは終わりたくないと思っています。五輪はみんなが注目する特別な大会。テコンドーは日本ではマイナーなスポーツなので、私を通してもっと多くの人にテコンドーの魅力を知って欲しいです」
確かな実力と周囲の期待を胸に山田選手は次なる戦いに挑む。

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