少女だった彼女はなぜアスリートの道を歩みはじめたのか。どのように自身の「道」を選び、たどり、そして今に至るのか。そこにある彼女の思いを、全二回に分けてお伝えします。

1990年1月9日に山形県長井市で生まれた沙織ちゃん。食べることが大好きな、ぽっちゃりした運動が苦手な女の子。そんな少女がスキーに出会ったのは3歳の頃。姉のスキーの練習についていったことがきっかけだった。鈴木沙織27歳―――。

スキーに魅了された少女時代

「スキーが大好きで、幼稚園の頃は一日中滑っていましたね。親に渡された千円札を握りしめて、一人でスキー場に行って、一人でご飯を食べて、一人で帰る、本当にそんな毎日でした。当時の自分凄いなって、自分のことながら思います」
小学校に入っても、運動は相変わらず苦手だったが、なぜかスキーだけは得意。マラソン大会ではビリ争いをしていたのにも関わらず、スキー大会ではいつも1位2位を競うほどの腕前だったそう。そんな鈴木選手がアルペン競技に出会ったのは小学5年生の時だった。
「クラブチームの人が、毎日のようにスキー場に通う私のことを見てくれていたみたいで、『アルペン競技をやってみないか』って声をかけてくれたんです。はじめは両親も渋っていたんですが、クラブの人が説得してくれてスキーを本格的に始めることになりました」
ここから、鈴木沙織のスキー人生が本格的にスタートを切ることになった。冬は学校が終わるとすぐにゲレンデに向かい、来る日も来る日も練習に没頭した。そして、中学生になる頃にはすっかりスキーに魅せられ、その実力も全国大会に出場できるまでにメキメキと頭角をあらわしていった。
「全国大会には出られましたが、レベルの違いに唖然としました。自分のレベルが分かっていなかったので、他の選手に全く歯が立たない現実を知り、自分への情けなさもあって本当に悔しい思いをしました」

まさかの結末。そして美容の世界へ

そんな不甲斐なさを胸に、高校でもスキーを続ける決意をする。進学したのはインターハイ優勝者を数多く輩出する山形県立山形中央高等学校。今までとは比べものにならない厳しいトレーニングの毎日に、逃げ出したくなる日もあったという。
「トレーニングがとにかくきつくて。練習中に吐いてしまったり、意識がなくなってしまうこともしょっちゅうありました。食べても食べても体重は減っていって、3年間で10キロ落ちました。ただ痩せた分、体がよく動くようにはなってきましたね(笑)」
夢は、インターハイ優勝。高校入学とともに掲げた高い目標があったからこそ、3年間の厳しいトレーニングにも耐えることができた。しかし、3年間の努力が結実するはずのインターハイ予選で、まさかの出来事が起こった。
「インターハイ予選で転倒してしまって、途中棄権したんです。1本目はぶっちぎりの1位だったから、2本目の転倒が本当に悔しくて、半日は泣き続けましたね。『今まで何のためにこんな苦しい思いをしてトレーニングをしてきたんだろう』って自問自答して終わった、そんな高校生活最後のインターハイでした」
高校の卒業と共にスキーを引退。3年間指導してもらった恩師からは「本当にスキーを続けなくていいのか?」と引き留められたものの、本人の意思は固く、東京の美容専門学校への進学を決める。

両親への思いと自分の思い

「これまで両親に金銭的な面で相当迷惑をかけてきたので、手に職を付けて自立して、両親を安心させたいという気持ちがとにかく強かった。スキーを続ける道を選んでも、両親は応援してくれると分っていたので、両親にはスキーをやりたい気落ちをひた隠しにしていました。また、小さい頃から美容師に憧れもあったので、これもタイミングかなって自分に言い聞かせてもみたり」
専門学校進学のため、親元を離れ、東京での一人暮らしが始まった。
今までのスキー中心の生活からは、何もかもが一変し、友達とごはんに行ったり、休みの日には繁華街に遊びに行ったりもする、いわゆる“普通の女の子”としての青春時代を満喫した。
「専門学校では国家試験対策を毎日してました。マネキンの髪の毛を切ったり、巻いたり、美容師を目指して毎日先生の話に聞き入り、実技も自分なりに頑張ってましたね。授業の一環でやったヘアショーでは、高いヒールを履いてモデルとしてランウェイを歩いたこともあるんですよ」

運命的な巡り合わせ スキーがやりたい

スキーとは無縁の学生時代を楽しんではいたが、毎年冬が訪れるとスキーが恋しくなって、一人で泣いてしまうこともあったという。自分で決めた道ではあったけれど、大学でスキーをやっている同年代の子たちをうらやましげに眺めていたという。そんな思いを抱きつつも、専門学校卒業後すぐに美容室に就職。職場近くに引っ越しもして、社会人としてのスタートを切ったのだが・・・。努力する者には何か特別な力が働くのかもしれない。まるで運命づけられていたかのように、ある日、借りていたアパートの近くに室内スキー場があることを鈴木沙織は知ることとなる。
「当然、滑らずにはいられなくなりました。美容師として頑張り始めた矢先ではありましたが、『本当にこのまま美容師をやっていていいのか』と自分に向き合って考えた時に、美容師を辞め、復帰することを決意しました。当時の自分は何でもできると思っていて、根拠のない自信に満ち溢れていましたね」
復帰を決意し、両親にはその「想い」をしたためた手紙を送った。両親は鈴木選手の復帰を心配しながらも、心の底から応援してくれたという。本人も両親が二つ返事で快諾してくれることは承知の上だったのかもしれない。
ここから、鈴木選手の第二のスキー人生が始まった。

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